お下劣古典文学「宇治拾遺物語」1巻6話~坊さんのタマサオ事件

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文学・歴史

くどいようですが、私の本職は英日間産業翻訳者です。翻訳者になる前は塾講師をしていました。英語科じゃなくて国語科です(英語で面接受けて、1回授業したら、「うちは英会話スクールやなくて学習塾やから、子どもにわかるようにカタカナ発音で、教科書に書いてることを『こんなん実際使わへん』とか言わないでください」と経営者に言われたのが、国語科に専念するキッカケやったんですが)。
英語だけができる人なんか山ほどおる中で、「プロの翻訳者」となる決め手は母国語である日本語つまり「国語力」であると断言できます。せやし国語科講師をやっていたのは「結果オーライ」ですね。
というわけで、私の国語科塾講師キャリアを元に、国語のおもろさを伝えていきたいとおもいます。
第1回は、たぶんかなり有名なアホアホオモシロ古典文学「宇治拾遺物語」の中でもずば抜けて「下品極まりない」お話を、京都弁に訳しました。平安時代の話やねんから京都弁にするのが、言文一致っちゅうもんやろと無理やりな理屈(単に普段つこてる言葉の方が楽でオモロイからねんけど)。

宇治拾遺物語 1巻 6話 課長補佐師時、坊さんのタマとサオを取り調べた件

これもまあ昔のこっちゃねんけど、中納言師時(モロトキ)ちゅうオッチャンがいはってん。(中納言ちゅうのんは、今でゆうたら、国家公務員キャリア組の課長補佐みたいなもんかなあ・・・知らんけど)。
その課長補佐のとこに、まーっ黒い丈の短い袈裟を来て、ごーっつい数珠を首にぶら下げた坊さんがアポなしで来よりましてん。。
「自分、何なん?」って課長補佐が訊かはったら、その坊さん、えっらい大げさに凹んだ声で、
「もう、生きてるのん辛おすねん・・・人間っちゅうもんが生きて死んでまた生き返って~って繰り返すんは、煩悩っちゅうもんがあるよってに、なんべんもこの世に戻って来てまうんや思いますんや。せやよってに、、次死んだら、もう生まれ変わって来んように、煩悩を切ってほかしてまいましてん」
「煩悩を切ってほかしたってどうゆうことなんえ?」

「ほな、これ見とくなはれ!」
っちゅうてこの坊さん、袈裟の裾をパーンとめくりあげたら、『生えてるはずのイチモツ』がなくて、チン毛だけもっさ~と生えてはる。
「こらまったけったいなこっちゃのう・・・」と思わはった課長補佐がじーっくりガン見したら、どうもぶら下がっとるキンタマ袋ががけったいな形しとる・・・。
「おーい!誰か手ぇあいとるやつ来てんかぁ~」と呼ばはったら、部下が2、3人来はったんで、
「ちょーこの坊さんひっ捕まえてこっち連れて来てんか」
「ナンマイダブナンマイダブ・・・・」坊さん、涼しい顔でお念仏を唱えて、
「どないなとしとくなはれ!はよ!はよ!」と真面目くさった顔で、足を広げて平然と目ぇつぶりよる。
「よっしゃ自分ら、足もっと広げたれ」と部下に命じて、坊さんの両足を広げさせはってから、12、3歳の若手(まあゆうたらジャニーズJr.みたいな子)を呼んで、
「この坊さんの股を、手えで上下にさすったれ」
ジャニーズ君、やらか~い手ぇで、ええ感じに上下になでなで・・・。そのうち、この坊さん、取り澄ました顔で、
「もう、ぼちぼちええんちゃいます?」ちゅうもんやさかいに、
「お、なんかええ具合に悦がっとるで・・・もっとこすれこすれ!ほれほれ!」
「いやほんま、具合悪おす・・・もう堪忍しとくなはれ」
坊さん必死で懇願するよって、余計おもろなってこすらせ続けたら・・・
毛ぇの中から、おおきいおおきいマッタケがニョキニョキ~~と現れて、フル勃起して腹にパンパン当たりよった(すごいな)。
課長補佐師時も部下たちも一斉に大爆笑。当人の坊さんまで手ぇ叩いて笑い転げよった。

この坊さん、チンチンをキンタマ袋にねじ込んで、米粒を糊にして上に毛ぇを貼って、しれっと人を騙して恵んでもらおうっちゅう詐欺坊主やったっちゅうこっちゃ。

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原文

中納言師時法師の玉茎検知の事

これも今は昔、中納言師時といふ人、おはしけり。その御もとに、ことのほかに色黒き墨染の衣の短かきに、不動袈裟といふ袈裟かけて、木練子の念珠の大きなる、繰り下げたる聖法師、入り来て立てり中納言、「あれは何する僧ぞ」と、尋ねらるるに、ことのほかに声をあはれげになして、「仮の世、はかなく候ふを、しのびがたくて、むしよりこのかた、生死に流転するは、せんずる所、煩悩にひかへられて、今にかくて憂き世を出でやらぬにこそ。これを無益なりと思ひとりて、煩悩を切り捨てて、ひとへに、『この度、生死の境(さかひ)を出でなん』と思ひとりたる聖人に候ふ」と言ふ。中納言、「さて、『煩悩を切り捨つる』とは、いかに」と問へば、「くは、これを御覧ぜよ」と言ひて、衣の前をかき上げて見すれば、まことにまめやかのはなくて、ひげばかりあり。「こは、不思議の事かな」と見給ふほどに、しもに下がりたる袋の、ことのほかに思えて、「人やある」と呼び給へば、侍、二・三人出で来たり。中納言、「その法師、引きはれ」とのたまへば、聖、まのしをして、阿弥陀仏申して「とくとく、いかにもし給へ」と言ひて、あはれげなるかほけしきをして、足をうち広げて、おろねぶりたるを、中納言、「足を引き広げよ」とのたまへば、二・三人寄りて、引き広げ、さて、小侍の十二・三ばかりなるがあるを召し出でて、「あの法師の股の上を、手を広げて上げ下しさすれ」とのたまへば、そのままに、ふくらかなる手して、上げ下しさする。ばかりあるほどに、この聖、まのしをして、「今はさておはせ」と言ひけるを、中納言、「良げになりにたり。たださすれ。それそれ」とありければ、聖、「さま悪しく候ふ。今はさて」と言ふを、あやにくにさすり、ふせけるほどに、毛の中より、松茸の大きやかなる物の、ふらふらと出で来て、腹にすはすはと打ち付けたり。中納言を始めて、そこらに集ひたる者ども、もろ声に笑ふ。聖も手を打ちて、伏しまろび笑ひけり。はやう、まめやか物を、下の袋へひねり入れて、続飯にて毛を取付けて、さりげなくして、人をはかりて、物を乞はんとしたけるなり。狂惑の法師にてありける

上の「京都現代語超訳」は、試験に出ても回答にしないでくださいね!
(たぶん試験には出ないけど・・・こんな下品過ぎる話)


一点だけ「試験に出る古文」

「の、」は「が、」と訳す
原文で太字+マーカーでチェックしてる2か所がそれ。
「しもに下がりたる袋 が、ことのほかに思えて・・・・」
「松茸の大きやかなる物 が、ふらふらと・・・」

「の」が全部「が」に変換できるわけやないので、「の」と読点があったら100%格助詞の「が」で間違いないと思ってください。
逆に
「が」は「の」と訳す という法則もあるのですが、今回の原文では「の と訳す が」のわかりやすい例がなかったので、また今度。



ほな!

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